« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »

2008年5月

2008年5月28日 (水)

確信犯について考える(続き)

前回の続きで、違法性の意識に関する学説を整理してみます。

     不要説(判例)
・理由:法の不知は害する。
38Ⅲの解釈:違法性の錯誤は故意を阻却しない旨の当然の規定

        (むしろ根拠)。
・批判:責任主義に反する。

     必要説(厳格故意説)
・理由:違法性の意識を欠けば、反対動機の形成が出来ないはずである。
    違法性の意識こそが、故意と過失の分水嶺である。
38Ⅲの解釈:個々の法律を知らなかったとしても、故意は阻却されない。
・批判:確信犯の処罰が困難である。

     制限故意説(違法性の意識の可能性=責任故意の要素)
・理由:犯罪事実がある以上、規範の問題に直面しているのであるから、
    違法性の意識がある場合と違法性の意識の可能性がある場合とでは、
    反規範的人格態度という点で同じである。
38Ⅲの解釈:個々の法律を知らなかったとしても、故意は阻却されない。
・批判:ⅰ)違法性の錯誤についてのみ、人格形成責任を認め、
     事実の錯誤については考慮しないことは問題である。
    ⅱ)違法性の意識の可能性という過失要素を故意に導入する点が問題である。
 

     責任説(違法性の意識の可能性=責任の要素)
・理由:違法性の意識の可能性が必要であることは制限故意説と

      同じであるが、「可能性」という概念は、

      責任要素として考えるべきである。
38Ⅲの解釈:あてはめの錯誤(禁止の錯誤)は、故意を阻却しない。
・批判:責任故意を構成要件的故意と同一に解することになる。

※自然犯法定犯区別説は省略しております。

 それでは、これらの学説について、どのように考えるべきでしょうか。

 故意責任の本質から考えると、厳格故意説が素直であるといえます。しかし、実際の処罰の必要性を考えると、違法性の意識を欠いた場合をすべて無罪とすることになるので、確信犯などの処罰必要性を考えると、厳格故意説を採ることは、困難といえます。これに対して、不要説は判例の立場でもあり、現実的ではあるとはいえますが、故意責任の本質を、あまりに無視する点で問題です。そこで、違法性の意識の可能性を要求することが妥当といえます。問題はその位置づけです。責任説は責任故意を単なる事実的故意とする点で、責任故意を希薄化してしまうという難点があります。これに対して、制限故意説は、確かに責任故意の中に「可能性」という過失的要素を持ち込む点で問題があります。しかしそもそも、違法性の意識の必要を問題提起した理由は、責任故意の深みをどう考えるかにあります。そう考えると、違法性の意識の可能性を責任故意の要素とする制限故意説が妥当ではないかと思われます。

本サイトにもお立ち寄り下さい(会社設立と格安電子定款は、こちらから)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月18日 (日)

確信犯について考える(鯨肉盗難事件を契機に)

 今回は、法律の話題です(刑事系)。

 新聞テレビで報道されておりますが、NGO団体グリーンピース(以下GP)が、西濃運輸配達中の荷物(鯨肉)を盗み出したという事件がありました。これは言うまでもなく、窃盗罪の構成要件の客観面を充足します。 他人の財物を盗むことも認識しているので、構成要件の主観面(構成要件的故意)も充足します。ところが、GPは、無罪を主張しているのです。以下は、朝日新聞からの引用です。「箱を開いて鯨肉を確認し、犯罪行為を確認した以上、元に戻すことは犯罪行為を助けることになる。私たちとしては正しいやり方だったと考えている」。 これは、いわゆる確信犯といわれるもので、窃盗罪の故意(責任要素としての故意)が存在するかどうかが問題となります。

 余談ですが、確信犯とは、本来、この事件のように、犯罪行為を行ったが、自己の行為は違法ではないと確信していた場合のことをいいます。つまり、悪いことをしたと思っていないのが、確信犯です。ところが、日常用語の確信犯とは、ものすごく悪いことであることを認識しつつ(ここが確信)、あえてその悪い行為をする場合を指すケースが多いようです。例えば、「Aに俺の怒りをわからせるため、確信犯として、Aを殴った」というような形で用いられる場合です。このようなケースは本来、単なる故意犯であって、確信犯ではありません。

 さて、本来の確信犯に戻りますが、従来確信犯の例として、思想信条に基づくものが上げられていました。例えば、過激派が、革命達成のため、自己の犯罪行為(革命資金調達のためにする強盗など)を正当化する場合です。今回のGPの事件もまさに、思想信条に基づくもので、確信犯の典型というべきものではないかと思います。

 では、自己の行為が違法ではないと考えている確信犯の処罰をどう考えるべきでしょうか。これは、講学上、「責任故意の成立に違法性の意識が必要か」として問題となります。裁判員制度も始まりますが、一般の方の感覚では、直感的にどう思われるでしょうか。率直に言えば、故意犯(わざとやった犯罪)として重く処罰するには、やはり悪いことであるとの認識(違法性の意識)が必要と思われるのではないでしょうか。このような考え方は、刑法38条1項(罪を犯す意思がない行為は、罰しない)に素直な考えとも言えます。しかしこれでは、今回の鯨肉盗難事件のように、行為者が思想信条に基づいて違法性の意識を欠いていた場合、無罪としなければなりません(責任故意阻却)。これでは、故意犯の成立する範囲が極めて狭くなるので、不都合と言わざるを得ません。条文上も刑法38条3項本文「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない」との整合性も問題となります。

 そうすると、責任故意の成立に、違法性の意識は不要である、と考えるべきなのでしょうか(判例は一貫してこの立場です)。しかし、これでは不都合な場合もあります。例えば、ある個人商店主が、店のサービス券として、1万円札に似せた金券を作ろうとした場合を考えます。個人店主としては、偽札作りに該当しないよう工夫し、地元警察署にも相談して、警察のお墨付きをもらった上で、金券を配ったにもかかわらず、通貨及証券模造取締法違反で検挙されてしまったとします。この場合、構成要件的故意は問題なく存在しますが、警察のお墨付きも得ていたことを考えると、違法性の意識を欠いたことについては、、致し方ない事情があります。違法性の意識を不要とすると、このような場合も犯罪(故意犯)が成立することになります。もっとも、38条3項ただし書により、「情状により、その刑を減軽することができる。」ので、執行猶予を付するなど、具体的な不都合性は回避可能とは言えます。しかし、警察のお墨付きまで得ていたのに、犯罪の成立を認めて、有罪判決になることは(執行猶予がついたとしても)、一般人の感覚からは、納得し難い部分もあります。

 それでは、どのように考えるべきなのでしょうか。まず判例が違法性の意識不要説で一貫している以上、実務的には、責任故意の成立に違法性の意識は不要とせざるを得ません。あとは、学問的にどう考えるかです。実は、この点については、諸説があるため、各学説については、次回のお楽しみということにさせていただきます。

本サイトにもお立ち寄り下さい(会社設立と格安電子定款は、こちらから)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年5月 5日 (月)

基本に忠実に

 先日、テレビ観戦ではありますが、中邑vs武藤のIWGP戦を観戦致しました。結果は、皆様ご存知かと思いますが、武藤選手が見事IWGPを奪取しております。

 この試合を見て思いましたのは、基本の重要性です。テレビ観戦のため、試合全体を見た訳ではありません。そのため、断定的なことはいえませんが、武藤選手の攻めが、プロレスの基本に極めて忠実であったことが印象的でした。武藤選手は、中邑選手の左足に攻撃を集中させて、徐々に中邑選手の動きを抑えていきました。これに対して、中邑選手は、腕ひしぎかと思えば、ドラゴンスクリューで足を攻めたりと、攻撃のポイントが絞りきれていませんでした。

 プロレスファンの間では、中邑選手に対する厳しい評価があります。いわゆる「しょっぱい」という評価です。この点に関して、以前は、私もそう考えておりましたが、対棚橋戦(IWGP戦)をテレビ観戦した結果、考え方を改めました。中邑選手は、かつてのジャンボ鶴田選手と同様と考えるべきではないでしょうか。鶴田選手も、善戦マンと呼ばれた時代がありました。しかし、そもそも、当時の鶴田選手のキャリア(デビュー10年未満)で、あれだけのメンバー(リック・フレアーなど)と、互角に戦ったことを高く評価しなければなりません。中邑選手も同じではないかと考えております。棚橋戦から感じたのですが、中邑選手は、高度な技を、あまりにも簡単に、使いこなしてしまいます。本当は、すごい技を展開しているにもかかわらず、技が軽く見えてしまうのです。それ故、技に対する思い入れをアピールできず、結果、気迫が欠けるような印象を与えてしまうのかも知れません。

 話題を武藤戦に戻しますが、今回の中邑選手の敗因は、攻めの基本を欠いた点にあるのではないかと思います。武藤選手が、プロレスの基本に忠実に、一点(左ひざ)を集中攻撃することで、じわじわと中邑選手の動きを止めて行ったのに対して、中邑選手の技は、攻めのポイントを絞りきれていませんでした。現在の新日本プロレス内でのライバルクラスと戦う際には、中邑選手の先天的なセンスで十分に対応可能であると思います。しかし、今回は武藤選手が相手です。センスだけでは、勝負が出来ない相手です。

 武藤選手の攻撃を分析すると、場外での攻撃を織り交ぜたり、受けに回る際は、スタミナ回復に努めるなど、長年のキャリアに裏付けられたインサイドワークが、十分に発揮されていました。これらの動きも、プロレスの基本に忠実な動きといえます。

 中邑vs武藤戦から、基本の重要性を認識しましたが、筋力トレーニングでも、基本が重要であることを再認識する出来事がありました。このところ、べンチプレスの伸びが緩慢になって来たため、トレーニングメニューを基本に忠実なものに変えました。具体的には、メインセットとして、110kg×8本を、しっかりと行うことです。それまでは、やたらに、120kgや115kgに飛びついていましたが、いずれも8本に満たない回数で潰れていました。これを確実に8本出来る重さである110kgに変更してみました。110kgの場合は、自力コントロールが可能なため、2、3セット目は、三頭筋も十分に動員した粘りの挙上が出来ます。このトレーニングにより、足上げで、130kgを回復しました。

 挙上重量の増大を急ぐあまり、やたらに高重量トレーニングを組む人もあるようです。しかし、筋力トレーニングも、やはり、基本に忠実なトレーニングを行うことが、結果的には、筋力アップの近道ではないかと思います。

本サイトにもお立ち寄り下さい(会社設立と格安電子定款は、こちらから)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年4月 | トップページ | 2008年6月 »