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2009年4月

2009年4月26日 (日)

一人称は「私」(僕は×)

 4月も最後の週となりました。実質的にGW入りという感じです。本年度の新入社員の皆さんも、入社1ヵ月で、仕事にも慣れて来た頃でしょうか。
 かく言う私も、○十年前、新入社員となりました。そのとき社会人の心得として言われたことが、今回の表題です。
 その他にも、様々なことを学びましたが。表題と並んで、象に残っているのは、、「酒を飲んだ翌日こそ、早めに出社する」です。
 さて、今回この2点に言及したのは、飲酒全裸事件に関連してです。
 謝罪会見の内容の良し悪しに関しては、ここでは言及しませんが、一人称に関しては、やはり、「私(わたくし)」を用いるのが、社会人ではないかと思います。
 そう考えると、実は、非常識な人物が多数見つかります。
 その筆頭が、麻生総理です。一国の総理が「僕は」、「僕が」というのは、みっともない、恥ずかしい限りです。女性大臣が、「あたしの考えでは~」とコメントするようなものです。
 総理お得意の英語であれば、一人称は「I」しかないので、「僕」も「私」も区別がないのでしょうが、日本語には、しっかりとした区別があります。英会話教育以前に、正しい日本語を、正しく使えることを、最優先課題とすべきではないかと思います。
もっとも、麻生総理自身が、最良の反面教師なので、これを活用すればよいのかも知れません。本日は以上です。

 
  

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2009年4月21日 (火)

自白の存在も報道せよ(足利女児殺害事件)

 本日(平成21年4月21日)の事件報道には、2つの重大事件がありました。一つは和歌山カレー事件の上告棄却判決、もう一つは足利女児殺害事件です。
さて、テレビ報道を見ていると、マスコミの人権感覚の低さを感じます。すなわち、まともな人権感覚があれば、足利女児殺害事件が、ニュース番組のTOPに来るはずです。DNA不一致となれば、もうこれは冤罪事件です。殺人事件が冤罪であること確実になったのですから、まずこのことの問題点を報道すべきです。それがマスコミの使命です。
 しかも、肝心な部分が抜け落ちています。それは、被疑者の自白があるということです。この件については、ほとんど触れられていません。
 被疑者は、警察の取調べでは自白し、その後、第一審の途中から否認に転じています。これは明らかに、自白を強制をされた結果としかいいようがありません。この問題点を指摘できている報道は皆無です。ただ単に当時のDNA技術に言及するだけです。

さて、この技術レベルですが、和歌山カレー事件に関しても、問題ではないかと思います。
 当時の報道を思い起こすと、スプリング8なる日本最大の加速器を利用して、ヒ素成分を鑑定した結果、被疑者宅のヒ素と一致したと報道されていたように思います。ところが、今回の最高裁判決を見ると、「組成上の特徴同じくする」と表現しています。これは、一体どういうことなのでしょうか。完全に同じ成分ではないが、特徴として一致する部分があると読めます。同一なら、同一断定すればよいのです。それが出来ないから、特徴一致というあいまいな表現になったものと憶測されても文句の言えないところです。
 おそらく、死刑は執行できないでしょう。これまでの冤罪疑いがある事件はすべてそうです。その典型例が帝銀事件、袴田事件です。

話題を足利女児事件に戻しますが、今回の刑が無期懲役であったため、被告人は冤罪を晴らす方向へ進めました。もし、死刑判決であったらどうなのでしょうか。
 人は、神ではありません。必ず間違えます。裁判も同じです。いくら丁寧に事実認定しても、冤罪事件が発生します。
 もし、死刑を存置するのであれば、無実の人間が死刑になることを肯定しなければなりません。これを肯定しない限り、論理的に死刑存置論が成立しないのです。
死刑存置論者の皆さんは、このことを理解されて、死刑存置を主張しているのでしょうか。
見込み捜査+自白強要=冤罪は、過去の話ではありません。大学教授痴漢冤罪事件(4月14日最高裁判決)があったばかりです。富山強姦冤罪事件も記憶に新しいところです。甚だしきは、志布志事件です。これは完全なでっち上げで、事件そのものが全く不存在でした。
日本の警察レベルはこんなものなのです。あなたが無実の罪で死刑台に送られる可能性があるのです。
 「自分は犯罪をするような人間ではない」は理由になりません。
 そもそも無実であるのが冤罪なのですから。
 それでも死刑存置に賛成しますか。  

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2009年4月19日 (日)

ベンチプレス検定(資格商法は儲かりまっせ)

 財団法人日本漢字能力検定協会の背任問題が世間を騒がせております。近時、検定ブームですが、以前から、資格商法は、胴元が儲かるのがセオリーです。そのため、最近の検定ブームでは、訳の分からない検定まで、登場しております。
 漢字検定の場合は訳のわかる方ですが、ここの財団も、文部科学省からきちんと天下りを受け入れていれば、こんなことにならなかったのでしょう。
さて、役人といえば、最近の役所は、消費者保護に悪乗りして、規制強化を図っています。その典型が消費者庁です。
 このところの国民生活センターのはしゃぎ方を見ていると異様です。そもそも、科学的思考からすれば、工業製品に絶対の安全性などは、有り得ません。従って、どんな工業製品であっても誤った使い方による事故は必ず発生します。それをあたかも、製品の不良のごとく公表するのは、ミスリーディングに他なりません。
 よほど、自分達の存在価値をアピールしたいのでしょう。国民生活センターのHPを見ると、あきれた事例が平然と掲載されていることが分かります。最近の事例では、電気カーペットのコントローラーに、飼い犬が粗相(要はオシッコした)したため、電気回路がショートしたケースが掲載されています。このケースは、どう考えても、飼い犬のしつけをきちんとしなかった飼い主の責任です。
最近の日本人は、言い訳と責任転嫁が好きな国民になってりまったようです。マスコミ、政治家の発言を聞いていても、自己責任を否定する話ばかりです。
 そもそも、自己責任とは、本来、他人の行為については責任を負わないことを意味します。個人責任の原則と同じことです。
 これは、近代法の基本原則なのです。たとえ親兄弟でも他人の行為には責任を負わないこと、自身の過失ない限り責任を負わないことが、自己責任(個人責任)の原則なのです。
 それでは、自己責任の逆は何でしょうか。それは連座制です。親が殺人をすれば、その犯人の妻、子供も殺人罪に問われるのが連座制です。
 自己責任を否定する方々は、連座制を採用するのだということを認識出来ているのでしょうか。
 自己責任は、個人の自由を保障するものであって、決して厳しい責任を押し付けるものではないことを再認識ではないでしょうか。
その点で、ベンチプレスを含め、ウェイトトレーニングは、極めて危険なスポーツです。これを行うことは、まさに自己責任です。
 そもそも、人間の体構造的に考えて、100kgを越すウェイトを挙上するようには作られていません。それにもかかわらず、パワー3種目の一流選手は、合計1トン以上をを挙上するのですから、怪我なく過ごせるほうが不思議です。
 そこまでに至らなくとも、やはり怪我はつきものです。無理をしたつもりがなくとも、痛めている場合があります。
問題は、ウェイトトレーニングのこのような点に、役人が悪乗りしてくる恐れです。今のところ、スポーツジムやフィットネスクラブに法的規制がありません。
 しかし、市販薬品の販売方法にケチをつけるのが、役人的発想があります。スポーツジムが、標的にされる恐れは十分にあります。 
 すなわち、スポーツジムには、必ず国家検定を経た指導士を置くこととし、しかも、その人数は、メンバー50人につき1人とするなどです。この「○人につき×人」という規制は、役人の大好きな規制方法です。
 なんの問題も起こしていない市販薬に関して、販売方法を規制する時代ですから、いつトレーニングジム系が、規制対象となっても不思議はありません。ランニングマシンの走り過ぎで、ひざを痛めたおばさんが、国民生活センターに、愚痴をこぼしに行く可能性もあります。
 そこで、役人が悪乗りして来る前に、漢検のように、先に検定試験制度を創設し、検定料で大儲けしてみたいと思います。
 特に、私の場合、自称ベンチプレスのレッスンプロなので、「財団法人ベンチプレス検定協会」なるものを設立してみたいと思います。検定問題は、例えばこんな感じです。
・80kgで8レップス挙上できれば、MAX100kg×1レップスが挙上できると考えられる
 →○
・ベンチプレスでは、後背筋を使用しないので、背中系のトレーニングは不要である→×
  

 このように、ペーパー試験も可能ですが、ベンチプレス検定は、やはり実技試験メインで行きたいと思います。
 従って、ベンチプレス技能士検定が、名称としてよろしいのではないかと思います。
 ご賛同の方からの、コメントお待ちいたしております。

 

 

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2009年4月14日 (火)

ラン15km達成(ソックスの消耗大)

 このところ、べンチプレス好調で、厳しめの追い込みが続いておりました。そのため、本日のベンチメニューは、軽めの調整で終了。その代わり、ランで15kmに挑戦してみました。これまでの最高記録は、12kmでしたので、成功すれば、記録更新です。
その結果ですが、午後9時頃からランニングマシンに乗り、午後10時20分頃に成功させました。平均時速11kmです。ランニングマシンで、このペースなら、まずまずではないかと思います。来年のフルマラソ挑戦への希望が見えて来ました。
 このところ、ラン及びエアロバイクの時間を充実させているのですが、その影響で、ソックスの消耗が激しくなりました。この1ヶ月ほどで、2セットダメにしております。シューズも底の減りが早いような印象を受けます。
 定額給付金では、自転車購入の予定でしたが、このままでは、ソックスとシューズの購入に回す必要があるかもしれません。手続きは済ませてあるので、早く振込んで欲しいところです。

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2009年4月12日 (日)

1年前のことを覚えているのか(舞鶴女子校生殺害事件)

 今回の記事で100回目を迎えることが出来ました。ご愛読に感謝致します。
 さて、今回は、予告通り舞鶴女子高生殺害事件に関してです。
 本年4月7日、被疑者が逮捕されました。このことは、皆様よくご存知のことと思います。
 逮捕にあたって、警察は被疑事実の決め手を全く説明しておりません。この点に関しては、マスコミ報道においても、大きく批判が加えられています。裁判員制度回避を狙ったものとの批判が強く有りますが、まさにその通りでしょう。
 もっとも、この警察側の懸念は、日本の裁判員が、アメリカ陪審員並の常識的判断力を有していることが前提になります。しかし、日本の裁判員は、有罪の偏見で固まっています。それ故、むしろ裁判員制度の下で公判請求した方が、有罪になる可能性が高いと思われます。従って、警察側の懸念は、杞憂といえるでしょう。
 いずれにしても、警察側は、逮捕根拠を全く示していないのですが、取調べ状況は、次から次へとリーク情報が垂れ流されています。
 民主党小沢代表の件もそうですが、捜査関係者からの意図的リーク情報は、捜査側の一方的言い分なので、その内容の真偽に関しては、十分に注意が必要です。今回もそうです。
 警察側のリークによれば、事件当日(平成20年5月7日)の行動に関して、被疑者の供述が転々としているとのことです。
しかし、1年近く前の行動を、覚えている方が不思議です。今我々が同じ立場になったらどうでしょうか。昨年の5月7日の行動を正確に思い出せる人間がいるでしょうか。少なくとも、私は無理です。
 ましてや取調べ中には、記憶喚起のためにメモ参照も不可能です。結局のところ、普段の行動パターンに合わせて、色々供述してみるしかありません。例えば私の場合であれば、夕方から夜間であれば、ジムでトレーニングしているのが通常ですから、まずは、トレーニングしていたと供述するでしょう。ただ、1年間の間には、ジムへ行っていない日も、当然あります。そうなると、結果あいまいな供述にならざるを得ません。その部分を捉えて、供述があいまいだから疑わしいとされたのでは、日本国民全員が被疑者となってしまいます。そもそも、1年前のアリバイを、よどみなく答えられるとしたら、それこそ、偽装アリバイではないでしょうか。
 次に、防犯カメラの映像解析です。解析結果では、被疑者と矛盾しないとしか結論付けられていません。そもそも、あれだけピンボケの映像です。あの映像と矛盾しない容姿、体型の持ち主は、数え切れないくらい、存在します。矛盾していれば、直ちに容疑がなくなりますが、矛盾しないから容疑が濃くなるわけではありません。アリバイと同じです。アリバイがあれば、即無罪ですが、アリバイがないから有罪になるわけではありません。
 そもそも、本件は、窃盗の別件逮捕が先行している事案でもあります。大掛かりな捜索をしても、何らの関連物証も見つかっておりません。
 過去の冤罪事件をみると、まさに本件のようなパターンが多いのです。 近所の素行不良人物が、別件逮捕され、虚偽自白に追い込まれるパターンです。いまのところ、自白はないようですが、もしこれで自白が出たら、冤罪と断定して差し支えないと思われます。
 今回、殺人被疑事実での勾留取消請求は却下されました。しかし、窃盗罪で服役中である人間がどうして罪証隠滅や逃亡が出来るのでしょうか。ただただ、取り調べのために逮捕したとしか考えられません。勾留場所が、例によって警察署という点も問題です(代用監獄の問題点)。
 本来であれば、次から次へと、別件逮捕を繰り返す事案です。しかし、裁判員制度回避のためには、早めに起訴する必要があります。もし今後、別件逮捕行われないようであれば、裁判員制度回避の意図は明白と考えて間違いないでしょう。
本日は以上です。

 

 

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2009年4月 9日 (木)

ベンチ150kg回復(但しフォームは×)

 表題の通り、とりあえず、ベンチベンチプレス150kg回復しました。フォームは、論外ですが、とにかく挙上出来たことで、今後につながりそうです。
スクワットの調子も良好ですし、デッドリフトも先日160kgをクリアしました。デッドリフトの自己最高は、はるか昔になりますが、175kgですので、170kgまでは回復したいところです。
 ところで、本ブログも今回で99回目になりました。次回は記念すべき第100回です。このところ、法律系の話題が少ないので、次回は、舞鶴女子高生殺人事件に若干触れたいと思います。 

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2009年4月 5日 (日)

誤報は朗報か?(DPRK飛翔物)

 今回の話題は、世間を騒がせている飛翔物に関連したお話です。
 飛翔物が何であるかは不明ですが、どうや人工衛星の軌道投入は行われていないようです。元々、ミサイル試射なのか衛星打ち上げなのか不明であるため、成功か不成功かは何ともいえないところです。
ただ、今回の飛翔体騒動で、日本の防衛力に欠陥があったことだけは判明しました。マスコミの含め、誤報問題には批判が殺到していますが、違った視点で考えてみたいと思います。違った視点とは、むしろ今回の誤報は日本の国益になったのではないかという視点です。
そもそも、今回の誤報によって、自衛隊の情報処理能力が、極めて貧弱であることが明らかになりました。何が、どのように問題なのかについては、マスコミ報道が氾濫している状態ですから、あえてここでは触れません。
ただ、このような情報処理能力の欠落によって、もはや核兵器保有が不可能になったと考えられます。つまり、情報伝達経路に、過度にお粗末なヒューマンエラーを抱えた国家には、核兵器保有は危険すぎるということです。アメリカが絶対に許可しません。
 もし、敵国からの弾道ミサイル発射がないにもかかわらず、情報伝達ミスでミサイル発射と誤解し、核報復措置を講じてしまったならば、世界は一体どうなることでしょうか(ちなみに刑法的には、誤想防衛として行為者自身は犯罪不成立の可能性あり)。
 もちろん、もし日本が核保有刻になれば、アメリカ同様、最終的な決定権限は内閣総理大臣になるでしょう。しかし、問題は、内閣総理大臣に伝わる情報経路です。今回、それが、ボロボロであったことが明確に立証されました。基本的な危機管理が欠落している以上、もはやアメリカが日本の核保有を肯定することはありえません。
 しかし、翻って考えると、実はこれは日本にとって良いことなのではないでしょうか。今回の件で、核保有能力が欠けていることを国際社会に証明した以上、もはや日本が核保有することは出来ません。口だけの非核宣言より、よほど国際的に信頼されます。
今後、アメリカでは、金融危機に費やした財政赤字を削減するため、国防費の見直しも検討課題にあがるでしょう。そうすると極東地域での展開体制も見直しされる可能性は有り得ます。しかし、その場合でも、いくら米軍展開の経費削減に効果があるとしても、日本へ核保有を求めることは、今回の1件で完全に消滅したといえます。
 このように考えると、今後、日本の核保有議論は、実質的議論に入る前に、核保有国適格を欠くとして、形式的に却下です。民事訴訟でいえば、当事者適格を欠くので、訴え却下判決ということになります。
今回の誤報事象から、核保有永年禁止の理論的根拠を導くことが出来ることは、日本国にとって、実は朗報なのかも知れません。 本日は以上です。

 

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2009年4月 3日 (金)

持分の部分(馬から落馬)

 表題をご覧になっても、何のことかお分かりにならないかと思います。実は、これは日本語の誤用例なのです。
なぜこのような話題をするかといいますと、先日所要で、法律系文書のチェックを依頼されました。その中にあったのが「持分の部分」です。
 持分とは、共有持分のことで、共有物に対する権利の割合が持分です。持分1/2とか、1/3と表現します。このように、そもそも持分という用語自体が、一定の割合を意味します。よって、持分自体が、全体に対する部分を意味します。つまりその人が「持っている部分」です。
 そうすると、「持分の部分」という表現は、結局、「持っている部分の部分」ということになります。「部分」が重複していることになるのです。
 このような間違いは、法的文書で行うと笑い者ですが、日常生活では良くあることです。その具体例が、表題の「馬から落馬」です。似たような例として、「落ち葉が落ちる」があります。
 上記のような例ですと、その奇妙さがご理解いただけるかと思いますが、慣例的に許容されてしまている例もあります。「必ず必要」、「最高のベストを尽くす」などです。
 さらに誤用自体が理解されていない例もあります。最近ミサイル発射問題が騒がれていますが、「射程」という言葉自体が幅を含んでいますので、射程距離という表現は、「持分の部分」と同じタイプの誤用になります。
さて、ふとトレーニングを振り返ると、同じ誤用がありました。必須アミノ酸です。そもそも、アミノ酸の中で人体に必要なものが必須アミノさんです。そうすと、必須アミノ酸と表現すれば、人体に必要であることは、含意されています。それにもかかわらず、「必須アミノ酸が必要」とうっかり表現してしまいます。
 はなはだしい場合は、「必須アミノ酸が必ず必要」と口走ってしまい、ますます意味不明に陥ってしまいます。
もちろん、意地悪く、こんなことに突っ込んで来るような人間は、あまりおりませんが、文書になると、やはり奇妙な表現です。
 トレーニングも文章も、論理が大切と感じた一日でした。

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